意見陳述

第10回口頭弁論 松井四十二

原告:松井四十二(よそじ)

医師の勧めで虻田町から蘭越町へ

第2次原告の松井四十二です。現在、蘭越町に住んでいます。2002年まで、胆振管内の虻田町(今は洞爺湖町となっています)に住んでいました。当時、原因不明の物質による汚染で体調を崩し、医師の勧めもあり、退職後、蘭越町に移住し現在に至っております。38年間、釧路、胆振方面で教職に就き、児童の教育に精進してきました。移住後、「蘭越・原発をもう一度考える会」を立ち上げ、原発時事故や放射能の脅威を中心に勉強会や映画会を2011年から毎年開催し、その会の共同代表を務めています。

先代の苦労の下、北海道を代表する農業の町

蘭越町は、ニセコの山々と羊蹄山を望み、5年連続清流日本一を誇る尻別川が町を包むかのように日本海へ注ぐ、自然豊かな人口5033人の純農村の町です。先代は、気象条件や成育に適した品種の選定、土壌改良など言い尽くせぬ苦労の下に、安心・安全でおいしい米作りに挑み、後志地方における一大生産地帯を築き上げました。収穫した米は、「蘭越米」と町名が商標となり、関東圏や道内の消費者に高い評価を受けています。生産と消費拡大を進め、全国米-1(こめワン)グランプリin らんこし大会を主催し、最優秀賞にも輝くなど名実共に北海道を代表するブランド米となっています。また蘭越町は、米づくり以外でもトマト・メロン・アスパラ・玉ねぎなどの生産に取り組み、新たなトマトの選果場の設置や塩トマトの生産など年々農産物の生産を拡大しています。

また、ニセコ山系の裾野に温泉が湧き、夏には登山や川遊び、冬はスキーにと訪れる観光客・滞在客は増え続けており、町にも新たな観光産業の発掘に動き出しております。

泊原発からわずか25.4km

しかし、泊原発から役場までわずか25.4kmの距離しかなく、緊急時防護措置準備区域30キロ圏内に位置付けられています。泊原発で福島第一原発と同様な事故が起きたら、基盤産業である農業や暮らしや町づくりは一体どうなるのか、不安や心配の声が上がっています。

農家の方は「自分たちは蘭越米の生産に誇りをもっているが、ひとたび泊原発が事故ともなれば、農家は財産も家もすべて失う。米づくりをやめろと言われるのと同じだ。たとえ故郷に戻れても、米は売れない。放射能の影響がないと言われても、消費者は買わない」と言います。林業・酪農業・新規就農者・観光業・商業等で生計を立てている人々も同じ思いでいます。

また、町民の方々は「ニセコ山系に降り積もった雪が地下を通り、ろ過された水道水になる。放射能で汚染されたら、生活が出来なくなる。温泉だって利用できない。そうなれば、いったい誰が責任をとるのだ」
「放射能が子どもの体に入ったら、どうすることもできない。影響がどう現れるのかも分からない。不安だ」
「事故発生になれば、若者たちだって安心して住めない。他の地に移らざるを得ず、故郷を捨てることになる」
「人間の造った機械はいずれ壊れる。泊原発はやめた方がいい。孫たちの先が心配だ」このような声が次々と寄せられます。

廃炉こそが唯一の防災

泊原発30キロ圏内に住む町民は、福島原発事故がいかに危険なものであるかを再認識しています。安心して住める環境を望んでいます。大飯原発差し止め判決にあるように、経済優先ではなく、人間がその地に生きていくことが価値であるということに共感しています。核のゴミの処分もできず、福島の原発事故の原因究明も収束の見通しもない今、常に放射能の危険を感じながらの生活は、到底容認できるものではありません。

泊原発で事故発生となれば避難できるのだろうか。蘭越町では、原子力防災避難計画を作っていますが、計画通りの避難は実効性が乏しいのではないかと疑問が出されています。季節や気象の変化による影響を予測することは、町民にとって困難です。特に冬、北西の風が吹けば、放射能の直撃となり、豪雪や吹雪を想定する非難指定の国道や道道にたどりつくことすら困難であり、指定避難場所の札幌市にも行けません。また、避難中、放射能で汚染されたらどうなるのか、行政担当者との話し合いでも、一人残らず被ばくせずに避難できるのかと聞いても、明快な回答がありません。原発事故は、人間の判断以上の災害をもたらすものであり、廃炉こそが災害を防ぐ唯一の道です。

多くの町の声は「原発を動かさない」

私は、蘭越町民が泊原発で地震や津波や原子炉の事故など大変な事態になった時、暮らしや命をどう守っていくか、多くの方々に意見を聞き、そして「原発を動かしてほしくない。このまま廃炉が一番いい」という言葉を数多く聞きました。蘭越町が、今後もずっと自然豊かな環境でいられるように、町民が安心して暮らしていけるように、裁判長ならびに裁判官の皆さま、この裁判によって、泊原発は再稼動せず、すみやかな廃炉を実現してくださるよう、切望します。

最後に、このような機会を与えていただき、お礼申し上げ、意見陳述といたします。