意見陳述

第22回口頭弁論 中村 廣治

原告:中村 廣治

原発の問題と40年余年

私は、1972年に大学を卒業し、高校の教員になりました。最初の6年間は、福島県の県立高校で勤務し、その後、北海道に戻り、32年間道立高校に勤務し、2010年3月に定年退職しました。現在は、私立高校の時間講師をしながら、泊原発の廃炉をめざす会の世話人、泊原発の廃炉をめざす会十勝連絡会の代表をしております。

福島第二原発裁判の原告に

私は、原発問題に大きく3回関わりました。その最初は、福島県在住時です。当時、福島県では既に東京電力福島第一原発1号機が営業運転を開始していました。その原発が、2011年3月に過酷事故を起こした訳です。

1974年に東電福島第二原発建設反対運動の一環として裁判闘争が組織され、高校教職員組合の呼びかけに応えて、その原告団の一員となり、反対運動に参加しました。原発は安全という宣伝が大々的に流され、原発容認が県民多数の状況の中で、原告になるには、大きな勇気が必要な時代でした。アメリカでスリーマイル島原発事故が起こったのは、1979年です。その5年前に、裁判闘争が始まった訳です。当時は公害反対運動が大きく盛り上がっており、諸公害反対運動と連帯して取り組まれました。原発の危険性について多岐にわたる論点が争われましたが、この当時から原発の使用済核燃料の再処理や放射性廃棄物の処分についても、「明確な科学的見通しをまったく持たないままで、危険な道につきすすみつつあること」が指摘されていました。いわゆる 「トイレなきマンション」 問題です。また、地震・津波による原子炉破壊の危険性、水素爆発の危険性も指摘されていました。

二つの直接請求運動

原発問題に関わった2回目は、泊原発の1号機の試運転が目前に迫った1988年の2つの直接請求署名運動の時です。1979年にアメリカのスリーマイル島原発事故、1986年にソ連のチェルノブイリ原発事故が起こっていたことから、原発の危険性は多くの道民に浸透しつつある中での直接請求運動でした。泊原発に関する道民の意思表示ができるように「道民投票条例」を求めた直接請求署名が約90万人分集まり、横路知事に直接請求を行いました。知事は、行政の継続性や条例の実効性に問題があるとして、請求に対して消極的な意見書を提出し、臨時道議会は、2票差で投票条例案を否決しました。もう一つの「泊原発と貯蔵工学センターを設置しない条例」の制定を求めた直接請求署名は、約47万人分集まり、知事に直接請求を行いました。条例案は、1989年の1月臨時道議会で、共産党を除く会派が反対して否決されました。道民投票条例ができていれば、道民の意思が表明されることになり、全道民規模で原発の是非を議論できる場を提供できたのにと非常に残念に思いました。しかし、直接請求運動を成功させるために学習会を数多く組織し、原発問題を深く学び合ったことは、大きな成果だったと思います。

泊原発廃炉裁判の原告に

原発反対の気持ちを持続する中で、いつかは太陽光発電をしようと決め、退職時に自宅改修にあわせて、屋根に太陽光発電パネルを載せ、2010年1月からささやかながら中村発電所を始動させました。 
原発問題に関わった3回目が今回の泊原発廃炉訴訟です。2011年3月11日午後2時46分頃に東北地方で巨大地震が起こり、「東日本大震災」が発生、大地震と津波により、東電福島第一原発は全交流電源喪失、炉心損傷の過酷事故が進行し、水素爆発を起こしました。世界の歴史に残るこの大事故により、多くの国民は、原発の「安全神話」にだまされていたことに気づき、「安全な原発はない」、「人類は原発と共存できない」、「原発ゼロの社会を目指そう」が大きな世論になりました。その中、北海道では、泊原発を廃炉にするための裁判闘争が呼びかけられ、福島県勤務時の教え子をはじめ福島県民の苦難に思いをはせ、今度こそ原発ゼロをめざして頑張ろうと、私も原告の一員となりました。今、世界の脱原発の流れに反し、日本では福島原発事故の原因究明も進んでいない中、原発の再稼働の流れが強まっていますが、あの3.11の反省はどこに行ったのだと声を大にして言いたいところです。

廃炉を求める理由

 私が、泊原発の廃炉を求める理由は、
①泊原発が立つ積丹半島の西側に海底活断層があること
(これは、原子力規制委員会も認定している) 
②地震等によって、一旦事故があれば、放射能汚染によって北海道に人が住めなくなること、日本の食糧基地である北海道が壊滅すること (これは、福島の現状を見れば分かります)
③原発が再稼働されれば、核廃棄物が溜まっていきます。核廃棄物の処理が難しい事や10万年以上も管理することは、地震列島日本ではできないこと (トイレなきマンション問題) 
④泊原発はこの5年間運転停止してきましたが、電力不足は起こっていないことなどです。

私たちの孫子にこの自然豊かな北海道を残していくために、何としても泊原発を廃炉にしたいと願っています。
最後に、原告の一人として、意見を述べる機会をいただき、ありがたく思っています。どうか、裁判長ならびに裁判官の皆様が、これまでの論点を深く解明し、意見陳述にも今一度目を通し、泊原発を廃炉にする決定を下していただきたいと願っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。