
私が泊原発を廃炉にしたい理由
マシオン恵美香と申します。
釧路市で外国人の夫と暮らしております。職業は画家で美術講師です。
東日本大震災の翌月から「被災者支援ネットワーク釧路」という市民団体の事務局を務めております。また、私は昨年3月に北海道電力の株主となり、本年6月の年次総会では、会社の経営を圧迫する泊原発を廃炉にするよう株主52名で提案議案を提出しました。
本日は事業者である北海道電力に 住民として、母として、命として、核の被害者当事者として「私が泊原発を廃炉にしたい理由」をお話しに参りました。
私は1986年に起きたチェルノブイリ原発事故以降から泊原発の存在そのものに反対し続けています。1988年の夏、泊原発のゲート前で大勢の道民と共に、北海道に初めての核燃料搬入に対する抗議のため、なんとしても阻止したい一心で叫びました。その当時の私はまだ二十代で子どももいませんでしたが、美しい北海道の大地を危険な核で汚されたくないと思いました。また、専門家でもないただの消費者の目から見ても、使用済み核燃料の管理を延々と次世代にまで強いるような原発は、合理的なようにも経済的なようにも思えませんでした。
ベラルーシの子どもたちの未来を想う
その数年後、チェルノブイリ事故の影響が強く残るベラルーシから子どもを日本に招く里親活動のスタッフとなり、1995年からはホストファミリーとして我が家で3人の子どもたちとふた夏を過ごしました。あれから26年、ベラルーシでは健常な子どもの出生率が極端に少なくなったと報じられ、不妊、流産、死産も心配されています。そして、あの事故の前後に生まれた子どもたちは、結婚や妊娠、出産をするような年齢に達しています。一緒に過ごした子どもたちの未来を想うと、私は心配で、ただただ涙がこぼれて息が苦しくなります。
それは、私自身が癌患者だからです。ちょうど5年前、悪性進行癌によって胃部と胆嚢の全摘出手術を受けました。12年前に亡くなった父の幼い頃の長崎での戦争体験と、発症した複数の癌や白血病、そして私の病気との因果関係は証明できませんが、放射能の人体への影響や、その可能性を打ち消すことはできません。癌病巣摘出の外科手術に成功しても、多くの場合、リハビリの期間だけでなく一生涯に渡り、痛みと不具合を持ち続けることを私は知ってしまいました。幼い子どもたちには惨すぎます。
愛娘は震災前は関東の大学へ進学することを夢見ていましたが、放射能の影響を考えて進路を変更しました。現在、大間原発を対岸に見る函館市にある大学の2年生です。
東日本大震災の当日、私は夫の家族と過ごすためにアメリカ・カリフォルニア州に滞在していました。翌月は高校3年生になることを目前にしていた娘が釧路から震災や原発事故のニュースを知らせてくれました。大慌てでサンフランシスコ空港に問い合わせましたが、羽田空港は閉鎖されアメリカから日本に戻ることができたのは3月18日でした。一人の母として、原発事故の状況を理性的に分析するよりも先に、とにかく一刻も早く娘の顔を見て抱きしめたいと思う気持ちでいっぱいでした。帰国便ではアメリカの測定要員と一緒に乗り合わせました。ドイツのメルケル首相がドイツは古い順番から原発を止めると宣言している日でした。出発するときには賑やかだった羽田の国際線ターミナルは、気持ち悪いほど暗く静かに帰国した私たちを出迎えました。一方、国内線ロビーにはペットを移送用ケージに入れた大勢の避難者が疲れた顔で南と北方面の便の受付のため長い列を作っていました。
釧路に戻る飛行便は満席で、津波に見舞われた地域の上空あたりを飛行中、避難者数名が涙を流しておられました。中には原発の近くから避難してきたとおっしゃる方もいました。
自然災害だけでなく複合的に起こった原発事故の恐ろしさを知って世界中が震撼する中、福島原発事故の収束も見ず原因の検証もされないうちに、当事国の電力会社でもある北海道電力が泊原発3号機を新規稼動させてしまったことに、私は大変驚きました。
私はこれまでの本訴訟公判6回を全て傍聴しました。倫理的論拠から、経済的試算の破綻とエネルギー事情や見通しの誤算に拠って、立地条件や地学的根拠に拠って、原発そのものの構造的欠陥を示してその危険性を、住民として避難者として、消費者として、法律家として、また医療に従事する立場としてなど、論理的に、また命の視点で心情的側面からも、「泊原発を止めるべき多くの理由」を陳述人の方々が訴えておられました。しかし、残念ながら、これまでの経過の中で、北海道電力はこれらの真剣な訴えや問いかけに応じるどころか、本年夏、国に対し、定期点検で停止中の泊原発の再稼動と電力料金の値上げをセットで申請しました。
一企業の発電事業が押しつける多くの問題
さる10月8日、私は「平成25年度北海道原子力防災訓練」の参観をしました。北海道は国から防災計画案の策定と共に原子力災害に特化した防災訓練の実施を義務付けられ、これによって北海道の財政にも大きな負担が押し付けられています。災害弱者と呼ばれる障碍者、高齢者など要援護者や乳幼児や外国人の居る家庭、仕事で偶然そこに居合わせた労働者や観光客に対する配慮も自治体にその全ての責任が、加えて個々の職員にも命がけの重い任務が課せられます。しかし、あれほど大がかりな訓練に毎年、莫大な出費をしても、原子力災害が起これば道民全員の安全を補償することは難しいでしょう。
一企業の単なる発電事業によって、何故、これほど多くの問題を人々や環境に押し付けることが許されるのか疑問に想います。北海道電力は直ちに原発という事業をやめて廃炉への手順を計画し、消費者でもある地域住民に愛される公益事業者として立ち直るよう努力を始めるべきです。
以上が、本訴訟に賛同して原告となった私が泊原発を廃炉にしたい理由です。
裁判長、こうした陳述が法律的には一切の影響力を持たないものであるとうかがいました。 しかし、私は、法律に携わる方々は、よりよい社会を作るために、そのご職業に就かれたと信じます。個々人は家庭人として親として、私の心情に共感される部分もおありだろうと想います。安全な環境で平穏に暮らしたいと望む多くの人々の思いをくんでいただき、今後の審議のご判断に反映させていただきたく、お願いを致します。 陳述を終ります。