意見陳述

第8回口頭弁論 林 心平

原告:林 心平

今、この時代に子どもを育てるということについての、一人の父親としての決意

本訴訟の原告である、林心平と申します。妻と6人の子の8人家族です。末の娘を除く、7人が原告となっています。

現在の「核の危機」とは原発事故のこと

長女が生まれたのは、1999年JCO臨界事故。三女が生まれたのが、2007年新潟県中越沖地震、柏崎刈羽原発事故。次男が生まれたのが、2011年。福島第一原発事故が起きたときは母親のおなかの中におり、事故後半年でこの世界に出てきました。昨年12月には第六子が誕生しました。

かつて、「核の危機の時代」と言えば、誰もが核戦争のことを思い浮かべました。現在も「核の危機の時代」のまっただなかです。ただし、核戦争ではなく、原子力発電所に命が翻弄される時代に変わりました。

こんな世界は、私たち大人が作り上げてきたものです。それをそのまま子どもたちに手渡して、「未来は素晴らしいものだ」と胸を張って言うことは、到底できません。むしろ、謝らなくてはならない状況です。大人として、未来をよいものにしていく責務をひしひしと感じています。

常々、「子どもに説明のできないことはしない」ということを考えています。これは、世代を越えた倫理ということです。ですから、「おばあちゃんに怒られるようなことはしない」と言い換えてもいいのです。

人としてまっとうな道を歩むということは、いかに技術が進歩し、新しい概念が作られようとも、根本から大きく変わることはないのだと考えています。具体的には、「安心して暮らせる環境と社会を引き継ぎ、受け渡していく」ということです。

今、原発事故は終息することなく、放射性物質を地球中にまき散らし続けています。私たちの認識しているだけでも相当な生命を損なっています。

私は、放射性物質をまき散らし続けている状況を、正当化して、子どもたちに説明できる言葉を持ちません。どう考えてみても、反省と、謝罪の言葉しかありません。ですからせめて、未来への道筋を、自分が生きている間につけなければならないと考えています。そのためには、原子力発電所をなくすしかありません。それがまっとうな大人の良識というものです。

本来ならば、原子力発電所をなくすということは、福島第一原発事故以後、ただちに取りかかるべき課題でした。ところが、どうも日本にいるのは、まっとうな大人ばかりではありませんでした。そのことを、子どもたちにあやまりたい。だからせめて、訴訟という手続きを経て、原子力発電所をなくす作業を始めていくしかありません。

以上が、今、この時代に子どもを育てるということについての、一人の父親としての決意です。

後世から過去を振り返って、私たちは感謝されるのか

もうすでに「原発の時代」は終わっており、「核の危機の時代」に入ってしまっていることを認識しなければなりません。百年後、今の日本を振り返ったとします。後の世代から、今の私たちの選択が感謝されるのか、非難されるのかということを考えるべきなのです。

電力会社にとっては、原発にしがみつかず、他のエネルギーにシフトしていく転機が訪れました。北電は、石狩新港に計画しているLNG(液化天然ガス)火力発電所の工事を前倒しして、完成を早めるべきです

また、自然エネルギーの買い取り量を増やすべきだと考えます。北電によると、太陽光発電は2014年1月24日現在で390件、計183万kwの購入申し込みがあります。また、風力については2011年時点で、すでに78件、187万KWの購入申し込みがあったとされています。これらを合わせれば、370万KWにもなり、それだけで泊原発の200万KWは不要になります。風力など不安定な部分は、火力とLNGで調整すればいいでしょう。

すでに道内だけでこれだけの発電できる能力があるのですから、あとは送電網の問題を乗り越えればいいのではないですか。もちろん送電網の整備には国の支援も必要でしょうが、まず北電がそれを要請すべきです。

原発をやめるために我慢が必要ならば、我慢する覚悟はあります。ですが、実際には原発をやめるために、何か途方もない我慢が必要だというのは幻想です。原発をやめても、基本的に、今の生活は維持できるのです。必要なのは、原発をやめるという意志決定とそれに基づいた実行なのです。

裁判長、 残念ながら私たちの時代に、「核の危機の時代」に突入してしまいました。でも、私は6人の子どもたちに、幸福な子ども時代と安心できる未来を手渡したいのです。そのためには、泊原発を廃炉にしなければなりません。本訴訟を契機に、まっとうな大人の良識に従って、原子力発電所をなくす作業が始められることを、切に願います。どうぞ、お子さんの顔と、おばあちゃんの顔を思い出してくださいますように、お願い申しあげます。

決意