
私は泊原発の再稼働に反対し、廃炉を求める原告の一人ですが、原発から30キロ圏の赤井川村に暮す立場から意見を述べることに致します。
村に根を張る
私は東京出身ですが、まだ20代の頃に田舎暮らしを始め、以来40年になります。北海道に来て約30年、自然や社会の環境に期待して、赤井川村に暮らしています。人口が千人を少し越える小さな村を大変愛していて、20年ほど前に活動の本拠地を建設しました。祖父の故郷、イギリスの伝統的な様式に倣うレンガ建築で、耐用年数を少なくとも200年、できればその倍にしたいと計画・設計しました。私自身の「終の住まい」というだけでなく、子供たちやその末裔までがここに暮らすという決意や期待に基づくもので、大規模な植林なども含め、この地に深く根を張る「ファミリーツリー」を赤井川村の丘の上に建設しているつもりでおります。
泊村の選択
地方議員を3期勤めると、少なからず地方の小規模自治体が抱える問題が分かるようになります。高齢化進行の傾向は辺境に行くほど強くなり、いわゆる「限界集落」などが生まれます。主産業の農林水産業はどこも衰退の一途にあり、後継者不足は極めて深刻。昨今のTPP交渉で明らかなように、工業製品を売るために農業を犠牲にするのは国家的な路線だと言っていいでしょう。これは「市町村合併」による小規模自治体つぶしと表裏一体になっていて、この中で原子力発電所の存在を見ると、泊村が原発立地を引き受けたことをあながち非難できなくなってきます。出口のない疲弊のなかで、本質的な危険が分かっていても、当面の恩恵にすがってしまった泊村は同情に値するのかも知れません。
赤井川村の危機
原発はひとたび事故が起きれば地域を丸ごと粉砕してしまう恐ろしい存在です。福島の事故が示したとおり、原発事故は地域からすべてを奪い、回復不可能な空白を作り、地域に根を張って生きようとする私の夢など一気に奪われてしまいます。未来への夢や希望を託した建築は廃墟となり、丹念に植えて育てた木々は空しく枝葉を伸ばすことになるでしょう。アイヌの人々によってフレベツ(赤い川)と名づけられ、入植者によって拓かれた大地はもはや何も生まない荒野へと姿を変えることになります。原発はすべてを奪う悪魔です。
「原子力防災計画」の空虚
国と道の指導のもとに、わが赤井川村でも「原子力防災計画」なるものを作成。国の指導が末端まで行き届いている証拠のようなよくできた文書です。しかし仔細に読むとほとんどの語尾が「に努める」「を図る」「すべきである」の文体で、これは努力目標を示しているに過ないことに気づきます。村の担当者は、「それでも何もないよりは前進だ」と述べておりましたが、いかにも「机上の空論」の印象です。原発事故はその原因になる天災を伴うものであり、不可視的な危険の深刻度はこんな総花的ペーパーをはるかに越えるもので、これはただ再稼働に向けてのアリバイ文書なのではないか、と疑わざるをえません。
「避難計画」の謎
赤井川村は泊原発から30キロのUPZが村の中央を通る位置にあり、私を含め住民の大半は25キロあたりに暮らしています。事故を想定した「避難計画」では、この30キロ圏内の住民は事故規模に応じて圏外へ避難することになっていて、避難先として明記されているのは「キロロリゾート」です。ここはたしかに30キロ外ですが、ほんのわずか離れただけで、中心部と同じカルデラ外輪山の内にあります。村の最深部の谷間ですから、ここから先の避難は極めて困難と言わざるをえません。また、ここに至る道路は谷間を走る国道一本のみで、一年の半分は積雪がある豪雪地帯の道路を災害時に使えるのかどうかは疑問です。2004年の台風の際は道路を失い、電源を失い、水道の供給さえできませんでした。また、肝心の避難先「キロロリゾート」はこれまでに何回か転売され、現在所有しているタイ資本もまた売却交渉中、といった極めて不安定な施設です。
事故が起きたら
赤井川村は峠から見下ろす見事な「カルデラの雲海」が決め手となり、「日本で最も美しい村」に選ばれた風光明媚な所ですが、昨今はこの風景を眺めながら、泊原発からの放射性物質もきっとこんな風に村に滞留するのだろう、と思わざるをえません。避難計画にはリゾート方面への国道393号線、海沿いの国道5号線のふたつの経路がありますが、災害と事故後の混乱はこれらを麻痺させるに違いありません。村民は10年前の台風被害の時と同様に、なす術もなくただ村内に留まるしか方策がないように思えます。降りかかる放射線物質を浴びながらじっと耐えるというのは、まさに悪夢です。個人的な覚悟として申し上げますが、原発事故に対して私にはもともと「避難」という選択はあり得ないと思っています。私の時代が原子力を生み、私の時代が取り返しのつかない事故を生じさせたなら、私はそれに殉死するしかない、そう思ってしまうのです。無念の極みではありますが、原発から逃げ出して生きながらえるよりは、夢を描いた大地に留まることを選ぶだろうと思います。
そんな悪夢が来る前に、一刻も早く泊原発が廃炉になることを願うばかりです。