意見陳述

第20回口頭弁論 三上めぐる

原告:三上めぐる

支援活動を続けて7年目

原告で、「NPO法人 みみをすますプロジェクト」 代表の みかみめぐる と申します。
私は2011年3月11日に起きた東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の被害を受けた人達への支援活動を、同年3月16日から現在まで、市民有志によって続けています。特に私たちの活動は、放射能汚染から子ども達を救うためのものですが、もうじき7年目を迎えます。

 発生当初、北海道に避難してくる人達は地震や津波の被害者が中心でしたが、放射能汚染の実態が少しずつ明らかになった5月頃からは、福島県や関東圏からの原発事故被害者が札幌市内にも急増し、避難者への対応に追われる毎日でした。

原発事故で避難して来る人の多くは母子避難で、お母さんは放射能汚染から我が子を守ろうと、必死な思いで安全な地域を目指しました。お母さんが子ども達と避難先で仮住まいをはじめる中、お父さんは福島県などに残って仕事を続け、家族に仕送りをする二重生活が始まりました。やがてこの二重生活は心理的にも経済的にもそれぞれの家庭の上に重たい影を落としていきましたが、いつまで経っても家族合流が出来ない背景には、放射能で汚染された大地が除染をしてもそう簡単には安心な状態に戻らないという事実があり、元いた場所に戻っても大丈夫だという確信が得られないことが一番の理由です。

一時保養活動も平行して

昨年、福島県は、北海道に避難している福島の人達 (避難者総数2,039人中、福島県1,227人) の意識調査を行いましたが、7割近くの人たちは、住宅支援が打ち切りになっても、出来れば北海道に残りたいと回答しています。

私たちは北海道に避難してきた子ども達への支援と平行して、様々な事情で避難できない人達に向けて、放射能によるリスク軽減のための一時保養を、他団体と連携しながら行ってきました。夏休みと冬休みに、北海道のお寺に泊まってゆっくり過ごすこの保養事業には、毎回30名程の親子が参加します。福島県内各地から参加する方達の多くが、子どもに健康被害が出ることを恐れ、食べ物はできるだけ遠くの産地のものを購入し、年に数回は子ども達を保養に連れ出す努力をされています。原発事故が起きたことで、余分な経費を捻出しなければならないため、家計のやりくりも大変で、低所得者層の子ども達は、保養に出ることも叶わないのが実態です。

福島で原発事故が起きてから、全国各地で、放射能汚染から子ども達を救う動きが生まれました。避難や保養の受け入れ活動を行う団体を全国的にネットワークする 「311受入全国協議会」が発足したのは2012年ですが、2017年現在も 65団体が加盟しています。

いまだに放射能汚染に怯える多くの市民

同協議会は、年に2回、夏休みと冬休みの前に福島県内で保養や移住の相談会を実施していますが、全国の団体が現地に足を運び、ブースを出して相談者と直接向き合う活動で、毎回30団体余りが参加します。相談者も毎回100人以上が来場して、保養や移住の情報を求め、或いは健康問題を専門家に相談するなどしています。福島県では除染が進み、人々は放射能の心配をもうしていないようなイメージが先行していますが、この現地相談会に参加すると、放射能被害によって、人々がどのように悩みながら生活しているのかがよくわかります。この現地相談会も、多くの市民の力によって支え続けられています。

『当時の私は、原発や放射能の知識は全くなく、60キロも離れている郡山市には関係のない話だと思っていました。前代未聞の原発事故という状況にありながらも、被ばくを避けるという行動を、家族にも、また自分が教えていた塾の生徒達にも取らせませんでした。もしあの時、放射能が降っていることを知らされていたら、子ども達の無用な被ばくは避けられたし、そもそも原発など作っていなければ、こんな大事故と放射能汚染に苦しめられることにはならなかった。』

これは郡山市在住のお母さんの手記の一部ですが、郡山市と福島第一原発の距離は、北海道の泊原発から札幌市までの距離とちょうど同じくらいです。北海道に暮らす私たちが、東京電力福島第一原発の事故や、いまだに日本全国で避難生活を余儀なくされている多くの方達から学ぶべきことは、沢山あります。全ての人々には被ばくをしない権利があり、これ以上どんな命も軽んじることなく、人は病に怯える暮らしから解放されなければなりませんし、子どもは安全な環境で養育される権利があります。

北海道の泊原発も一日も早く廃炉にして、放射能汚染のない未来を、次世代に手渡すべきだと思います。裁判長、ならびに裁判官におかれましては、どうか、それを実現させるための判決を、勇気と良識をもって下していただきたいと強く願っております。