意見陳述

第29回口頭弁論 北上 雅能

原告:北上 雅能

北電泊原子力発電所を廃炉にする理由は、5つあります。

理由1 安全が担保されない

「世界最高レベルの規制基準」なる言葉が、一人歩きしています。
原子力規制委員会自らが 「これを満たすことによって絶対的な安全性が確保できるわけではありません」 と述べているにも関わらず、川内でも玄海、伊方、大飯、高浜でも、原発再稼働の免罪符になっているのは、どうしたことでしょうか。
電力会社はもとより、自治体の長までが「これで安全性が証明される」と有難がっているのは、如何なものでしょうか?

「安全」と「安心」は違います。原発は「安全」ではなかったのに、2011年3月11日まで国民は疑うことなく
「安心」していました。そのしっぺ返しとして、今や「安全」を強調されても国民は「安心」出来ない状態になっています。

原子力発電の技術は、そのまま核兵器開発に転用される危険があります。また、テロ等の脅威にも備えなければなりません。
その為、軍事レベルの機密保持と情報管理、組織管理が徹底されます。これらは容易に隠蔽や改竄、虚偽の報告等の温床となり得るものです。つまり、オープンな議論は出来ないということで、これでは安全が担保できません。情報の公開と共有は、安全確保の必須条件だからです。

いや、そもそも安全論議に惑わされてはなりません。仮に「安全」であっても再稼働させてはならない、その理由を以下に述べます。

理由2 その不経済性・不採算性

「クリーンで安価」「明るい未来のエネルギー」なるキャッチフレーズはまやかしでありました。除染や放射性廃棄物の処理費用、廃炉に至るまでの経費、それら社会的費用とされる一切合切を算入すると、原発は恐ろしいまでの金喰い虫であり、もはや市場における商品としての競争力は無く、日本の原発の海外売込みがことごとく失敗している事は、いまでは誰もが認識しています。

理由3 際限なく被曝者を増やす

ウランの採掘に始まり、原発が役目を終え廃炉となった後々までも、全期間にわたって被曝労働者を増やしていきます。原発がある限り、事故の有無に関わらず稼働の有無に関わらず、携わる労働者は被曝させられるのです。

理由4 環境への汚染

冷却水として環境に放出される放射性物質は、沈殿や対流を繰り返しながらより広い外洋に拡散し続けていきます。
原発周辺域の放射線量が仮に基準値以下であったとしても、膨大な海水によって希釈されただけで放射線量が半減したわけではありません。家の前のゴミを、となりの敷地に移したようなもので、量としては変わらず、海洋全体では蓄積し続けているのです。
よく使われる「風評被害」という言葉も正確ではありません。原発由来の放射性物質はそこにある訳ですから。

理由5 高レベル放射性廃棄物

原発がある限り、放射性廃棄物は産み出されます。最終処分の展望も無いままに、いたずらに核のゴミを増やし続ける事になるのです。(その一方で政府は、住民の声を無視しながら北海道・幌延など特定地域を最終処分場にしようと画策している事も付け加えておきます)

以上、述べた5つの項目が、北電泊原子力発電所を廃炉にする理由なのです。
さて、昨年9月6日に発生した北海道胆振東部地震は、ブラックアウトをはじめ、多くの課題を顕在化させました。泊原発も外部電源を9時間半喪失したのでした。2011年、福島第一原発事故の時は、全電源喪失から5時間後には原発から3km以内の住民に避難指示、3km-10km圏内に屋内退避指示が出されています。

これは泊村、岩内町、共和町と古平町の一部に該当します。幸い、泊原発は停止中でしたが、これが稼働中であったら、さらに非常用電源での冷却に失敗していたらと思うとゾッと致します。

ところが一方で地震直後から、「泊原発が稼働していれば、ブラックアウトにはならなかった」なる発言が飛び出しています。9月25日産経新聞や経団連会長の中西氏の発言です。(ちなみに、彼は日立製作所出身であります)

人の不幸を前にして、「聞き捨てならぬ」とはこのことです。北海道電力が、フクシマ事故後も、経営の基軸をあくまで原発に置き、火力発電その他に必要な投資をしてこなかったこの事が原因であると指摘されています。まさに「原発があったから、ブラックアウトになった」のではありませんか。論理が転倒しているのです。

さて、そのブラックアウト直後の昨秋10月、私共は「後志管内自治体要請行動」に参加しました。各自治体を訪問して、住民に寄り添った防災体制とは?或いは実効性のある避難計画とはどのようなものか?など泊原発廃炉に向けての話をさせていただきました。

3日間で、13の市町村をめぐり、移動しながら感じたのは「俺たちの後志は、何て広いんだろう」ということでした。

奇岩絶壁連なる海岸線、紅葉の山々、初冠雪をいただいた羊蹄山から豊かに稔れる丘陵に至るまで、この美しい後志の、そして北海道の山と海とを、放射性物質によって汚染させる事なく、次の世代に残していく。それこそが私たち大人の責任であると強く思ったのでした。