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泊原発廃炉訴訟について

● 意見陳述

小野有五 宍戸隆子

常田益代 森山軍治郎

熊谷佳子 清水晶子

村上順一 竹村泰子

林恭子 佐藤英行

斉藤武一 西尾正道

意見陳述

● 宍戸隆子・意見陳述内容

「安全」が爆発した

私は昨年の6月15日、中学2年生の息子、小学5年生の娘とともに札幌に来ました。私が震災当時住んでいた場所は、福島県伊達市。東京電力福島第一原子力発電所から直線で52~53㎞ほどの場所にある、山間の果樹と稲作が盛んな小さな町でした。あの地震は、本当に今まで経験したことがない、恐ろしいものでした。でもそれよりも原発が怖くて仕方なかった。私が生まれ育ったのは原発立地町の福島県双葉郡富岡町。だから原発がどんなところにあるのか知っていました。「原発は安全です。」と、どれほど聞かされたことでしょう。チェルノブイリとは違うと。でも原発は爆発し、たくさんの放射性物質が今なお大気にも海にも放出されています。

原発事故は何もかも奪っていった

警戒区域の人たちは、土地も家もそこにあった生活すべてを失いました。隣近所とも親戚とも離れ離れ、学校に通うことも仕事に行くこともできなくなりました。私達家族は自主避難者です。私は、あの場所で生活することが、安全だとはどうしても思えませんでした。ご近所にも友人にも、できれば避難をすべき、子供たちだけでも疎開をさせるべきだと訴えました。ですがその声は届きませんでした。友人たちは決して不安でなかったわけではありません。でも危険を叫べば「不安を煽るな。」「風評被害を広げるな。」と言われてしまう。隣近所にさえ、仲のよかった友達とさえ、本音で話すことができない。考え方の違い、価値観の違い、危険に対する認識の違いが、人間関係をまず壊してしまいました。この原発事故で高濃度に汚染されてしまった土地ができてしまった事実。一生ふるさとに帰ることができない人がいる。そのことをどのように弁解するつもりなのだろうと思います。故郷を奪われるということが、これほど苦しいとは思っていませんでした。原発は膨大なエネルギーを生みます。ですが、ひとたび暴走したときのリスクははかり知れません。

私は北海道を選んだ。だから…

福島の事故は、あれでもまだ幸運だったと私は思います。大半の放射性物質は海側に流れたのです。泊で同じような事故が起きたらどうなるのか考えてほしい。北海道は日本の食糧庫です。安全な食べ物を供給できる場所なんです。たくさんの人たちが安心して暮らすことができる、希望の大地です。だから、私は北海道を選んだ。今あるこの豊かな自然と農業、その暮らしを守ってほしいのです。私達と同じ思いを皆さんにしてほしくない。 対岸の火事ではありません。起きてから止めることはできないのです。どうか、私におきたことあの場所で起きたことを、ご自身のこととして受けとめていただけたらと切に願います。

(原告・宍戸隆子)