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泊原発廃炉訴訟について

● 意見陳述

小野有五 宍戸隆子

常田益代 森山軍治郎

清水晶子 村上順一

竹村泰子 林恭子

佐藤英行 斉藤武一

西尾正道

意見陳述

● 小野有五 2012年5月28日 14:00~14:30 札幌地方裁判所805号法廷

はじめに

意見陳述者の小野有五と申します。陳述者は原告の一人でもありますが、大学・大学院では地質学・自然地理学を学び、長年、地形学の研究 に従事してきました。変動地形学の研究にも携わったことがあり、活断層研究会に参加、1980年の『日本の活断層 ――分布と資料』では、北海道の活断層の一部の執筆を担当しました。『訴状』第8章(pp.59-84)に述べた「泊原発における地震の危険性」について、パワーポイントの画像を映写しながら、『訴状』の内容をわかりやすく説明することが本陳述の目的です。一部、訴状に載せていない図や写真がありますが、すべて、訴状の内容をわかりやすく説明するためのものです。訴状の内容を超えるものについては、別途、準備書面で提示したいと考えております。では始めさせていただきます。

1:泊原発の危険性

泊原発は、沖合の海底にある活断層による地震や、それによって生じ得る巨大津波の危険にさらされていることを説明させていただきたいと思います。泊原発のある地域で大地震がくりかえし起きたことは、海岸段丘などの地形によって示されることも、あわせて述べたいと思います。これらはすべて、「変動地形学」と呼ばれる地理学、自然科学の一分野の最新の知見にもとづいております。

2:プレートの運動とマントル対流

地球の表面は、プレートとよばれる岩盤からなっています。地球を卵にたとえますと、ちょうどカラ(殻)にあたる部分であり、その一部は、「地殻」ともよばれます。その下には、卵の白身にあたる「マントル」があります。卵の黄身にあたる中心部の「コア」の一部や「プレート」は固体ですが、マントルは、熱くて、ゆっくりと流動しています。熱せられた物質は湧きあがって左右に分かれ、流動したのち、ふたたび沈んでいきます。この熱による流れ、すなわち熱対流を「マントル対流」といいます。図は、太平洋周辺を示したものですが、太平洋プレートは、このマントルの流れにのせられて東西にゆっくり移動し、南米と日本付近で、マントルへ向かって沈み込んでいます。

3:主要な地震はプレート境界で起きている

世界地図に主な地震の震源を入れると、太平洋を囲む帯状の地域と、ヒマラヤから地中海周辺に向う地域に集中して分布することがわかります。狭く帯状に分布するので、これを「変動帯」とよびます。変動帯で大きな地震が発生するのは、そこがプレートとプレートの境目、すなわち「プレート境界」になっているからです。世界のプレート境界は、2つのプレートがぶつかっているところがほとんどです。しかし日本では、なんと4つのプレートがぶつかりあっています。

4:世界の原発の大部分は安定大陸の上にある

これは、主な地震の震源を示す地図の上に、世界中の原発の位置を示した地震学者、石橋克彦さんのつくられた図です。これを見ると、世界の原発のほとんどは、変動帯ではない安定した部分、これは「安定大陸」とよばれる地域だけに建設されていることがわかります。これに対して、日本の原発は、まさにすべてが変動帯の上につくられているのです。

5:日本列島は4つのプレートの境界にある

日本列島の東側や南側には深い海溝があります。そこがプレート境界になっているのです。東からは太平洋プレート、南からはフィリピン海プレート、西からはユーラシア・プレート、北からは北米プレートが移動してぶつかりあっており、日本列島は、地球上でも、もっとも活動的なプレート境界に位置しているのです。矢印は、プレートの運動方向を、その長さは、運動の速度を示しています。太平洋プレートの動きがもっとも速いのですが、それでも1年に8センチメートルていどです。

6:太平洋プレートの沈みこみと巨大地震

日本列島では、日本海溝付近で太平洋プレートが沈み込んでいます。海のプレートのほうが陸のプレートより重いので、海のプレートが沈み込むのです。2つのプレートの境界では地震が起きます。星印で示す震源の深さは、太平洋プレートの沈みこみに従ってしだいに深くなります。またマントルの一部が上昇したりして、地殻をつくる岩石が部分的にとけるとマグマが発生し、それが地上まで噴出すると火山活動になります。日本列島もつねに押されているので、そのストレスによって地震が起きることがあります。これが直下型地震です。規模はさほど大きくありませんが、直下なので、被害は大きくなります。阪神淡路大震災を起こしたのも典型的な直下型地震でした。しかし、3.11のような巨大地震は必ずプレート境界で起きます。

7:日本の原発の分布とプレート境界

3.11の巨大地震は、日本海溝に沿う帯状の部分の活断層が500kmにわたって動いた結果、生じました。断層の長さと、発生する地震の強さはほぼ比例します。500kmの断層が動けば、M9クラスの巨大地震になる、というわけです。  日本の原発は、図に示すように15か所ありますが、つねに冷却しなければならないために、すべて海岸にあります。原発は、必然的にプレート境界に近いところにある、ということです。なかでも静岡県の浜岡原発は、4つのプレート境界に近い場所にあるわけで、世界でもっとも危険な原発といえます。菅 直人前総理は、辞任前に浜岡原発だけを止めましたが、永久に止めるという意味なら、これはきわめて賢明な処置といえるでしょう。しかし、ほかの原発は安全かといえば、けっしてそうではありません。  図では、太平洋側のプレート境界が実線で描かれているのに、泊原発のある日本海側のプレート境界は、点線で描かれています。日本海側にはプレート境界がない、というのが1970年代の常識でした。ですから、太平洋側のプレート境界と日本海側のプレート境界がこのように区別されて表現されることがありますし、それには、それなりの理由があるのです。

8:日本海側のプレート境界についての諸説の変遷

1983年、日本海中部地震が発生したことで、初めて、日本海に、ユーラシア・プレートと北米プレートの境界があるのではないか、という説が、中村一明さん、小林洋二さんによって、独立に唱えられました。これが図bです。それまでは、図aのようにプレート境界は日高山脈の西側にあると言われていたのです。その後、瀬野徹三さんほかによって、北米プレートの一部はオホーツク・プレートとしてさらに区分されたり(図c)、さらに一部が東北日本マイクロ・プレートとして細分されたりもしています(図d)が、日本海にプレート境界があるという点は変わっていません。右下の図は、1998年に出されたWeiさんと瀬野さんによって、プレートの動きも含めて描かれた包括的な図です。ここではユーラシア・プレートの一部が「アムール・プレート」として区分されています。私たちが2003年に編集・執筆した『北海道の地形』という北海道の地形についての最初の総合的な教科書(右上)でも、これらの説を受けて、日本海にプレート境界があるとしました。

9:日本海側のプレート境界は東西圧縮帯

日本海にプレート境界があることは、1983年の日本海中部地震の10年後に北海道南西沖地震が起き、さらにその2年後、北サハリンでネフチェゴルスク地震が起きたことで決定的になりました。1940年の積丹沖地震や、1971年のモネロン島付近地震も含めて、すべての大きな地震が、右図のようにほぼ一直線のうえで起きていることが明らかになったからです。しかしよく見ると、これは一直線ではありません。日本海溝のような1本の深い海溝がある太平洋側とは異なり、日本海側のプレート境界は、左の図のように、海嶺とよばれる海底の山脈と、トラフや海盆とよばれる深い凹地が連続するきわめて複雑な地形をしています。これらの海嶺と凹地は、東西から強い力で圧縮を受けた結果、地層がずり上がる逆断層や、折れ曲がるしゅう曲ができた結果、つくられたものなのです。日本海側のプレート境界は東西圧縮帯といえるでしょう。

10:太平洋側と日本海側のプレート境界の全体図

北大の地震火山研究観測センターがつくった図が、以上のことをわかりやすく表現しているので、示しました。日本海側のプレートは、瀬野さんほかの「アムール・プレート」としています。日本海側のプレート境界が、基本的にはアムール・プレートの沈みこみとしてとらえられていることがわかります。

11:日本海側のプレート境界についての解釈

平 朝彦さん(2002)による解釈を説明します。平さんは、日本海側のプレート境界では、ユーラシア(アムール)・プレートが、北海道のある北米プレートの下にゆるやかに沈みこんでおり、その境界にある奥尻海嶺の周辺で、東西圧縮による逆断層が起きている、と解釈しています。星印は南西沖地震の震源で、まさにプレート境界で起きた地震であることがわかります。筒型が泊原発の位置ですから、泊原発がいかにプレート境界に近いかがわかるでしょう。あとでふれますが、奥尻海嶺そのものは、日本海と同じ海洋の地殻でできていること、その両側で、傾斜が反対になる逆断層が発生することも、この図は示しています。

12:北海道での地震の震央分布

北海道の太平洋側と日本海側の地震の震央・震源の水平的・垂直的な分布図です。太平洋プレートが沈み込んでいる太平洋側では、東北地方と同様、地震の震源が、内陸に向かってどんどん深くなります。しかし日本海側では深い地震はなく、すべて50kmより浅いのです。これは、日本海側では、プレートの沈みこみが始まったばかりである、という説の根拠にもなっています。日本海側の地震は、北海道南西沖地震の余震を示したものなのですが、その分布のようすは、平さんの模式図にあった、奥尻海嶺をはさむ2つの逆断層とよく一致しているようにも見えます。

13:日本海側プレート境界の複雑な地殻変動(テクトニクス)

岡田博有(2003)さんによる図では、奥尻海嶺の北部(測線J7)と、南部(測線J12)で、地下の構造がちがうことが示されています。北部では、ユーラシア・プレートが奥尻海嶺の下に沈み込んでいるのですが、南部では逆に、ユーラシア・プレートが奥尻海嶺にのし上げ、奥尻海嶺そのものをつくっています。中村さん、小林さんは、日本海側は、プレートの沈みこみが始まったばかりの新生プレート境界である、と唱えました。日本海側では、ユーラシア・プレートが北米プレートの下に沈みこもうとしているものの、まだその運動は始まったばかりで、ときにはユーラシア・プレートが北米プレートの上にのし上がってしまうような運動も見られ、一筋縄ではいかない、というのが、現状なのです。逆にいえば、古くからプレートが沈み込んでいる太平洋側は、だいたいの予測がつけやすいけれども、沈みこみが始まったばかりの日本海側は、いったい何が起きるかわからない、ということで、防災面からみると、予測ができないというリスクがさらに大きい、ということになります。ここまでが、訴状第8章の基礎的な説明です。

14:北電と活断層研究会による活断層分布の比較

ここからが、訴状でもっとも強く批判した、北電による活断層の認定の甘さに対する問題提起の部分になります。北電は、保安院からさまざまな指摘を受けると、活断層を新たに追加して認定することがありますので、新しい資料のほうがいいと思い、北電が2011年12月27日に原子力保安院に提出した最新の図を左に示します。この最新の図でも、今から約20年前の1991年に、活断層研究会によって出版された『新編 日本の活断層』にのせられている活断層のいくつかが、認定されないままになっています。(パワーポイントでは黄色の)破線で示す活断層がそれです。とくに、周辺ではかなりの活断層を認めているにも関わらず、泊原発から30km圏内に入ると活断層が急にまったくなくなるという不自然さが顕著です。

15:電力会社は変動地形学の研究成果を無視

なぜ北電による認定では、ぬけている活断層が多いのでしょうか。  以下に、その理由を説明したいと思います。訴状で引用した論文は、2007年に「科学」という雑誌にのった鈴木康弘さん、中田高さん、渡辺満久さんという日本を代表する変動地形学の専門家3人による論文です。鈴木さんほかは、東電の柏崎刈羽原発が2007年に起きたマグニチュードわずか6.8の中越沖地震で、想定をはるかに超えた地震動に見舞われ損傷したことを重くみて、その原因を、活断層を無視した原発の立地にあると指摘しています。この論文で、鈴木さんたちが「活断層認定の基本とは」と述べていることをわかりやすく説明するために、共著者の渡辺満久さんが、札幌で講演されたときに使われた2枚のパワーポイントをお借りして、お見せしたいと思います。

16:活断層認定の基本は変動地形学的な知見

そもそも「断層」とは、地質学の用語であり、地殻の変動によって、ひとつながりの地層が、ある面を境に切れることを意味します。地質学的にいえば、地層が切れている、ということが、もっとも重要なのです。しかし、変動地形学では、こうした断層の運動によって、地形にどんな変化がもたらされるか、ということに着目します。図は、まだあまり固まっていない地層が、ちょうどふとんのようにのっている状態を示しています。地下の固い岩盤が断層でずれると、地下では、断層面を境に、上側の岩盤がのし上がる動きをしています。これを逆断層といいます。この逆断層によって、地下の地層や岩盤は切れているわけです。しかし、ふとんのようにのった地層は、やわらかいので切れず、ただ地層が変形して、たわむだけです。ですから、上にのる地層だけを見ていると、その部分の地層は切れていないわけですから、これは断層ではない、と判断してしまうことになるのです。けれども、上にのった地層へ明らかに変形していますし、のし上がった側が高くなった結果、地表にはゆるい崖ができます。変動地形学では、このような崖を「撓曲崖(とうきょくがい)」と呼んで、こうした地形があれば、地下には断層がある可能性が高いと考えるのです。

17:海底の音波探査データを変動地形学で解釈する

海底の活断層は、海底に向けて船から音波を出し、その反射によって地下にある地層や断層を調べることで確認します。これを「音波探査」といいます。音波探査では、海底の地層は、図のように黒い縞模様で表されます。この図でも、海底の表層の地層はどこも切れていません。ですから、たんに地質学的にみると、ここには活断層はない、と見過ごされてしまうわけです。しかし、よく見ると、海底に近い、浅いところの地層ほど水平で、深くなるにつれて地層が曲がっています。これを変動地形学では、「変位の累積」といいます。つまり、地層は海底で水平にたまったはずなのに、時代たつにつれて、曲がり方、たわみ方が強くなっているのです。ということは、地層が水平にたまった後で、それを曲げたりたわませたりする力がくりかえし働いていることになります。その力は何かといえば、深いところにある断層しかありません。地下では断層によって破線で示した地層がとぎれているように見えます。そして、ちょうどそのあたりで、上のほうの地層にたわみが起こっているのです。ですから、ここに逆断層があると推定できるのです。

18:海底の活断層の認定

図は、私自身も執筆に加わった1980年に最初に出た『日本の活断層分布 ――分布と資料』にのせられている図です。つまり、すでに1980年の時点で、変動地形学からいえば、「海底の表層部では地層が切れていなくても、その下には活断層が存在する場合がこんなにある」という認定基準をちゃんと出していたわけです。図でいえば、地層が切れているのは(1)だけで、あとは、すべて、表層の地層がたわんだり、表層の地層がのった堅い岩盤がずれたりしているだけです。日本中の変動地形学者が集まって、何度も討議を重ねてつくったこうした基準が、電力会社や保安院によってまったく無視されてきたことこそが、大きな問題なのです。

19:東電による柏崎刈羽原発での活断層認定への批判

左の図は、柏崎刈羽原発周辺の活断層の平面図、右と下はその南北の断面図を示したものです。東電は、パワーポイント画像では赤く塗った断層(左の図で、円筒マークで示す原発のすぐ北側の中央部分だけ)しか、活断層と認めていません。しかし変動地形学の立場からすれば、たとえば、この赤く塗った活断層は、そのまま青く塗った部分(その左右側)まで伸びていると考えるのが常識です。まず、ここでは、密な等深線で示される、きわめて顕著な急崖がずっと続いています。このような急な崖が、中央部だけの活断層でできることはありえません。崖が左右にずっと続いていれば、活断層もそこまで続いていると考えるのが普通です。同様に、パワーポイント画像では緑や黄色に塗った活断層(図の左上や右上にのびる断層)も、顕著な急崖や、音波探査のデータから、確実に認定できます。ところで、中越沖地震は、左図の爆発マークで示した地点の地下で起こりました。活断層が引かれている場所とちがうではないか、と思われた方もおられるかもしれません。でも、下の断面図(No.4)を見ていただければわかるように、(赤で描いた)中央部の活断層は、柏崎刈羽原発の方に向って傾斜しています。つまり、中越沖地震は、柏崎刈羽原発のほうに向って傾いていくこの断層面の上で、地下の岩盤がずれて起きたのです。

20:泊原発の沖合の海底地形

意見陳述では、笠原 稔さんほか(1994)の論文に示された日本海の海底地形図に、これまで指摘された活断層を記入して示したのですが、この図はやや不正確でした。最近、中田さんほか(2012)によって、口絵00にもカラーで示した、アナグリフによる正確で詳しい海底地形図が出されましたので、ここでは、それを使って説明します。北海道南西沖地震を起こしたのは、奥尻海嶺の西側から奥尻島の西側に続く急崖をつくる活断層によるものでした。海底地形で急な崖になっているところには、多くの場合、その基部に、活断層が認定されています。図の左下に見える海底の広い台地、松前海台の前面の急崖をつくったのも活断層です。その裏側(南側)にも活断層があります。後志舟状海盆(後志トラフ)の西縁や、奥尻海盆の西縁の崖をつくるのも活断層です。奥尻海盆は東縁も活断で切られて急崖になっています。寿都海底谷の活断層、岩内堆周辺の活断層、そして神威海嶺からカムチャツカ根とよばれる積丹半島北部の海底地形を経て、泊原発の沖合にのびるのが、泊原発にもっとも近い活断層です。

21:北海道南西沖地震の意味

茶色の部分は陸上を空から見下ろして立体的に描いたもので、鳥瞰図といいますが、海底の地形は、鳥でも見えません。海面を泳ぐクジラが見下ろしたという意味で、青い海底の部分は鯨瞰図とよんでいます。3つ並んだ爆発マークの北端が、北海道南西沖地震の震源です。北海道南西沖地震は奥尻海嶺の北部、西側で始まり、その破壊が南に及んで、ついには奥尻島の西側にまで及び、それによって30mを超える津波が奥尻島に押し寄せたのです。もし、あのとき、奥尻海嶺の西側でなく、東側の活断層、つまり後志トラフ東縁の活断層が動いていたら、どうなったでしょうか?巨大津波は、そのまま泊原発に押し寄せ、私たちはもう、いま、生きていないのではないでしょうか?  海底地形では、奥尻海嶺の東にある深い後志トラフとよばれる海底の盆地や、ここに向って、寿都からは、寿都海底谷とよばれる深く切れ込んだ谷が顕著です。また奥尻島の南東には、奥尻海盆とよばれる深い盆地が続き、また南西には、松前海台とよばれる海底の広い台地が広がりますが、その前面も活断層による急な崖で切られています。

22:北海道南西沖地震による青苗の被災状況

北海道南西沖地震の起きたのが奥尻島の西側だったので、津波は、奥尻の西海岸では30mにもなりましたが、東側には、回り込むような波になったため、10-15mですみました。それでも、これだけの大きな被害が出たのです。このような巨大津波が、泊原発を直撃する危険を想定しないでいいのでしょうか。

23:松前海台の前面の地形と活断層

さきほどの図で位置を示した松前海台とその前面の急な崖を、深さ3500mの日本海の海底から見上げたのがこのコンピューターによる合成図です。松前海台の深さは1500mですから、この急崖は、高さ(比高)が2000mもあることになります。断層運動がくりかえし起きなければ、このような急な崖がこれだけの長さにわたって続くことは、まずありえないでしょう。さら注目されるのは、その前面に、低い崖ができていることです。この崖は、背後の北海道側が逆断層によって日本海の海底に向ってのし上がる運動が今も続いていることの大きな証拠になります。変動地形学からすれば、これらの崖はすべて、最近までその運動が継続している活断層の存在を示しているのです。

24:海岸の地形から、海底の活断層を推定する

変動地形学の知見を使えば、目に見える海岸の地形から、目に見えない海底の活断層を推定することができます。以下の5枚の写真は、このような推定がなぜ可能か、という説明のためのものです。まず、大地震のたびに地盤が隆起して「ベンチ」とよばれる地形ができることが、歴史時代の大地震のさいに観察されています。写真は、三浦半島のベンチです。低いほうのベンチは、もともと波で削られてできた浅い平らな海底だったのですが、それが1923年の関東大地震の時に隆起して、このような「ベンチ」をつくったのです。かつては波をかぶる海底だったわけですが、隆起すると、もう水をかぶらなくなるので、正確には「離水ベンチ」といいます。高いほうのベンチは、1703年の元禄地震でできたベンチです。このように、大地震のたびに地盤が隆起することを「地震性隆起」といいます。

25:西津軽地震による千畳敷の隆起

写真は、青森県の津軽の海岸にある「千畳敷」とよばれる「離水ベンチ」です。  これは、1789年に起きた、わずかM7程度の西津軽地震によってできたもので、場所によっては最大3,5mも海底が隆起したと言われています。

26:泊原発周辺の地震性隆起

泊原発周辺にも地震性隆起を示す地形があります。トンネルの手前には、「海食洞」があります。これも、もとは海面で波が当たって、やわらかい部分が削られてできた洞窟です。中で縄文期の遺跡が見つかっていますので、縄文人がこの洞窟を利用したことを考えると、約7000年前にできていた洞窟が、あとでここまで隆起したと考えられます。また手前では、崖の一部がへこんでいますが、これは「ノッチ」と呼ばれる地形で、もとはいちば波が当たる海面のところにできていた地形です。それが、いまはここまで隆起しているわけです。

27:神威岬の離水ベンチ

観光地になっている積丹半島のカムイ岬にも離水ベンチがあり、やはり、波で平に削られた浅い海底だったものが、地震によって持ち上がったベンチだと思われます。

28:長期間にわたって地震性隆起が継続してきたことを示す地形

泊原発周辺の積丹半島には、このような「離水ベンチ」だけでなく、それより高いところに、何段もの「海成段丘」が見られます。いちばん高いのがH1面、泊村がのっている平らな面は、約12万5千年前には浅い海底で、波で削られ、砂などが堆積してできた平らな面が、その後の地震性隆起で、約30mも隆起してできた地形なのです。これは日本各地に分布しており、M1面、またはS面とよばれています。その下にはM2面と呼ばれる海成段丘面があり、長期間にわたって、地震性隆起をもたらす活断層の運動が続いてきたことがわかるのです。

29:泊原発にもっとも近い活断層

地震性隆起を示すこのような海岸の地形や、海底地形、さらに音波探査データなどから、さきほど「科学」での共著論文を引用した3人は、2009年の日本地震学会で、泊原発のわずか15km沖合に、長さ60-70kmの活断層があることを発表しました。この図は、著者のひとり、渡辺満久さんが、2011年に札幌で講演されたときに映されたパワーポイント画像を簡略化して示しております。ベンチやノッチ、海食洞、海成段丘面など、かつて海面にあった地形が隆起するためには、海岸の比較的近くに、これらを隆起させるような断層がなければなりません。そして、それは、陸地側が海側に向ってのし上がるような逆断層になるはずです。この図で、活断層はたしかに泊原発に近いが、それでも15kmは離れているではないか、と思われる方もおられるでしょう。でも、そうではないのです。

30:泊原発に近い逆断層は直下型地震をもたらす可能性がある

なぜかといえば、この活断層は逆断層であるために、断層面は、泊原発の下に向って傾いて続いていくからです。地震というのは、この断層面のどこかで破壊が起き、その破壊が広がっていくことで生じます。ということは、泊原発の真下で、直下型地震が起きる可能性もあるということです。さきほどの図で示しましたように、長さ60-70kmの活断層は、少なくともマグニチュード7,5くらいかそれ以上の大きな地震を起こしますので、この地震が起きれば、泊原発には致命的な被害が出るでしょう。

31:活断層は連動することが3.11で明らかになった

3.11では、活断層が500kmにわたって連動して動き、大きな地震と津波をもたらしました。これまで、活断層による地震や津波の評価は、1つ1つの活断層ごとに行われていましたが、3.11以後、近くにある活断層は、つながっていないように見えても、大地震のときには連動して動き、地震の規模をさらに大きくすることがわかったのです。そこで、原子力保安院は、岩内堆の東方に伸びる活断層が、陸上にある黒松内低地帯の活断層と連動して、長さ150kmの断層が一度に動いたらどうなるかを検討しなさいと北電に命じました。北電はそれに答えるといいながら、全ての活断層が連動したときの計算を避け、個別に計算した結果しか出しませんでした。そのような不誠実な態度をとる一方、北電は、この活断層がさらに噴火湾の海底を経て、八雲まで伸びる可能性を認め、164kmの活断層が連動したときの地震動を検討するとも言っています。現在、その回答を待っているところです。(その後、北電は、計算結果を発表し、原発に影響する短周期の地震動では問題がなく、長周期の地震動では、これまでに想定してきた地震動を超える地震動が出たとしましたが、詳細については公表していていません)。すでに、この地域には、長さ100km級の大活断層がいくつも存在する可能性を指摘しました。詳しくは、別途、準備書面で述べる予定ですが、活断層のきわめて密な分布を見れば、連動の危険性が、この場合だけではないことがおわかりでしょう。

32:結論

以上、見てきましたように、泊原発の位置する積丹半島の西方には、多くの、しかも長い活断層があり、それらは互いに近接しているために、連動する可能性もきわめて大きいと言えます。また、活断層が深さ3000m-2000mといった深い海底に存在することも重要です。大地震が起き、海底が持ち上がると、その上の海水がすべて持ち上がるために、巨大な津波になるからです。3.11でなぜあれだけ巨大な津波を起きたかといえば、もちろん地震が大きかったこともありますが、その地震が深さ1700mの海底の下で起きたことも大きな要因です。そして、海岸から130kmも離れた場所で起きた地震があれだけの津波を引き起こしたのです。津波のことを考えれば、100km圏内の活断層しか問題にしない北電の姿勢が、いかにずさんであるかがわかるでしょう。  いっぽうで北電は、泊原発から30km圏内には1つも活断層がない、と主張しています。しかし地震性隆起を示す地形がこれだけあり、海底地形や音波探査データにも、海底の活断層を示唆する複数の証拠があることが変動地形学の立場から指摘されている以上、それを無視することは許されないと思います。先に述べましたように、泊原発の沖合わずか15kmに推定されているこの活断層は、東傾斜の逆断層であり、泊原発の直下で地震が起きる可能性すらあるのです。

訴状でも述べましたように、日本海側では明らかに地震の活動度が高まっており、次の大地震はいつ起きてもおかしくありません。3.11の巨大地震によってプレート自体が大きく動いてしまった現在、その危険はさらに高まったと言えるでしょう。1日も早く泊原発を廃炉にすることが、子どもたちのために、また北海道の未来のために、必要であると思います。裁判官におかれましては、このような現実を重視され、泊原発を廃炉にすべしとの判決を1日も早く出していただきたいと願っております。
以上で、私の意見陳述を終わります。ありがとうございました。