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泊原発廃炉訴訟について

● 意見陳述

小野有五 宍戸隆子

常田益代 森山軍治郎

熊谷佳子 清水晶子

村上順一 竹村泰子

林恭子 佐藤英行

斉藤武一 西尾正道

意見陳述

● 竹村泰子・意見陳述内容



「核」は原爆から原発まで

私が所属する公益財団法人日本YWCAは、平和・環境・人権・教育などが守られる平和な世界の実現をめざし、世界126ヶ国で活動する女性の団体です。3年毎に全国総会を開きますが、1972年第9回憲法研究会において、自らの生き方を問い直す決意で「「核」否定の思想に立つ」と決めました。当時、一般的にはまだこのかっこ付きの「核」が原爆から原発まで全ての「核」を示すことの意味が理解されるところまで広く世論が熟成しておらず、理解してもらうのに苦労したことを思い出します。先輩たちの先見の明に今更ながら驚かされます。原爆から原発までのすべての「核」を止めることは、全ての生きものたちの生存権を守ることにつながるからです。賢明なる裁判長様!あなたは今回のこの「泊発電所の廃炉」をめざす裁判で、私たち原告が必死に求めているものが何かはすでによくお分かりと存じます。それは、捨てる方法さえ決まっていない高レベル廃棄物の処理問題を引き起こし、地震、津波に襲われれば、過酷な事故を引き起こし、放射能物質に襲われた福島では16万人もの人々に故郷を失わせ、普通の生活をしてきた人々の生活を破壊してさまよわせ、さらに、放射能に汚染されたガレキの処分を未来の世代まで持ち越してしまう、原発というものを一刻も早く、廃炉にするということです。「反原爆と反原発のふたつはつながっている。福島は広島の目を覚まさせたのです。」広島で被爆し、反核の父と呼ばれた哲学者・森滝市郎氏(1994年没)の二女、森滝春子さんの言葉です。果たせなかった父・市郎氏の思いを継ぎつつ「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表をつとめる彼女のような数え切れない被爆者の悲願が福島で踏みつぶされたのです。「1953年にアイゼンハワー米大統領が打ち出した原子力の平和利用という呼び方に惑わされ、被爆地広島も原発の論理に巻き込まれた春子さんの悔恨だ」(2012・8・5.北海道新聞「異聞・風聞」より)40万人以上といわれる広島と長崎の被爆死者の方々と福島の犠牲者に、私たち生きている者はどう申し開きをすればよいのだろうか。弁解の余地もありません。

許容可能な放射能は存在するのか?

私は専門家ではありませんので、知識や情報には限界があります。が、現代に生きる人間のひとりとして又、母親のひとりとして、こどもたちの未来と環境には重大な責任があると思っています。36、000トン、或いはその何倍ものガレキは、とくにセシウム137の汚染が心配されています。政府はこの程度の放射能のレベルなら許容範囲だと言っていますが、実際に許容可能な放射能というものは存在しないのではないでしょうか。目に見えない、臭いもしないセシウムは食品から取り込まれ、濃縮されます。脳とか筋肉に蓄積して、長い期間とどまります。そしていろんな形で病いを引き起こしたりします。私たちは大丈夫、北海道は大丈夫と思っても放射能はよけてくれません。

すべては子どもたちのために…

私たち市民グループは各々に福島周辺のこどもたちの健康を心配して、保養のプログラムを企画して受け入れてきました。十分な外遊び、遠足、キャンプもありました。札幌YWCAは、函館YWCAと協力して夏のみではなく冬のプログラムも行いました。短い期間であっても、心の解放と新鮮なおいしい食物が免疫力を高めるからです。こどもたちの笑顔と、帰り際に「北海道大好き」と言ってくれたことで、苦労も吹っ飛ぶ思いでした。けれども、泊原発が事故を起こせば、この北海道が、札幌が、福島と同じ状況になってしまうのです。どうか子どもたちのために、泊原子力発電所を一日も早く廃炉にすることに力をお貸し下さる様、心からお願いいたします。

(第二次原告団副団長・竹村泰子)