斉藤武一・意見陳述内容

「泊原発によって故郷はねじ曲げられ、苦悩の道を歩んでいる」
廃炉訴訟原告団 団長 斉藤武一

斉藤武一
 岩内町の斉藤武一です。これから、泊原発の現地の話をいたします。裁判長に置かれましては、初めて聞くような話となると思いますの、しっかりと聞いてもらいたいと希望いたします。

 岩内町からは、岩内湾を隔てて泊原発が真正面に見えます。原発までの距離は5、6キロです。最初に、原発を見ながら生活するということはどういうことになるのかを話します。私の娘が小学五年生の時のことでした。小学校の先生が「将来、大きくなったら故郷に残る人は手を挙げてほしい」と尋ねました。しかし、クラスの誰も手を挙げませんでした。先生は驚いて生徒に聞くと、男子生徒が立ち上がり窓から見える泊原発を指さして「だって、先生、あれが爆発したら僕たちは終わりなんでしょう。だからこの町にはいたくありません」と話しました。そして町民は「泊原発で事故があったら、どうせ全滅だ」と投げ捨てるように言い「いつか、泊原発でも事故が起きる」と心の底で思いながら暮らしています。その町民の気持ちが端的に表れたのが、1993年に起きた北海道南西沖地震のときでした。大津波警報が入る中、町民は高台に逃げました。夜でしたから、津波は黒い線のように見え、沖から押し寄せてきました。その津波を見ながら、町民たちは大声で、「津波で家が流されるのは仕方がない。しかし、原発が壊れて放射能をかぶって死ぬのはごめんだ」「原発はどうなっているんだ」と、泊原発への怒りをぶちまけていました。

 次に、泊原発が町にやってきて、岩内の基幹産業であった漁業がどうなったのかを話します。岩内の漁師たちは、12年間原発に反対しました。しかし、お金の力でねじ曲げられ賛成へと転じていきます。そして、漁業振興資金として北電から26億円もらいましたが、600人の組合員で個人配分しました。最大でも1500万円しかもらえなく、漁協にあった借金が少し減っただけでした。原発に賛成すればたくさんお金をもらえると期待していた漁師の手元には、一円も渡りませんでした。漁師は、やる気を失い、漁師の夜逃げが始まりました。原発に賛成していた1981年を境に、岩内の漁業は崩れていきました。現在、漁業はほぼ全滅しています。

 泊原発が来てどうなったのか、その結末ですが、基幹産業である漁業を失った岩内は、原発から仕事をもらい、原発で働きと、完全に原発に依存しています。今、岩内で産業といえば、原発作業員のための民宿経営となっています。私の故郷、岩内は、泊原発によって町全体がねじ曲げられ、心の底で原発事故を心配しながら、町民は、「活気がなく、死んだような町になってしまった」と嘆きながら暮らしています。そして、かつて原発に賛成していた町長でさえ、「人間なら、誰があんな原発をほしがる者がいるものか。原発から金をもらえるから賛成しているだけだ」と、本音を漏らしています。故郷は原発からの巨額のお金でねじ曲げられ、苦悩しています。ですから、故郷、岩内の再生のためにも、さらに、原発のない新しい北海道を造るためにも、一刻も早く、泊原発を廃炉にすることが求められています。

 裁判長にお願いです。私がご案内いたしますので是非岩内に来てください。