おわりに

 子どもたちの未来のために、
 北海道の未来ために、
 泊原発を廃炉にしよう。

これが、私たちの言い続けてきたことです。

なぜ、私たちがそう言ってきたのか、この本には、そのわけを書きました。
でも、まだ書いていないことがあります。

「廃炉」って、本当はどんなことなのか。どんなふうに原発は廃炉になるのか――ということです。

「廃炉」とは、原発を終わりにする、ということです。まず、すべての原子炉の運転を止めます。これは、今年、二〇一二年の五月五日、子どもの日に実現しました。子どもたちへの最高のプレゼントであったと思います。

けれども、運転を止めただけでは「廃炉」とは言えません。運転を止めるとは、原子炉を「冷温停止」させる、ということです。原子炉が壊れていないこと。原子炉にはきちんと燃料棒がセットされていること。そして、それが冷却水で常に冷やされて、核分裂が起きないようになっていること。これが「冷温停止」ということです。

福島第一原発一?三号機は、残念ながら、もう永久に「冷温停止」はできません。

原子炉はどこかで壊れ、融けてどろどろになった燃料棒は、どこに落ちているかもわからない。

冷却水を注入しても、水は原子炉のどこかから漏れてしまい、数十センチしか原子炉のなかにはたまらない。高濃度に汚染された冷却水は漏れ続け、地下水を、そしてついには海水を汚染し続ける。

これが現実だからです。「冷温停止」など、もうできないのです。

政府は、「冷温停止状態」というわけのわからない言葉をつくって、原発事故が「収束」したと二〇一一年一二月に声明を出しました。それがいかにむなしい言葉か、わかるでしょう。

高濃度の放射能で汚染された福島第一原発では、作業すらまともにはできない状態です。なかで作業ができるようになるだけでも数十年はかかるでしょう。メルトダウンして、どこかで固まっている燃料棒のデブリ(堆積)を探し出し、取り出し、ふたたび、核反応が起きないように冷却する。それがいつになったらできるのか。誰にもわかりません。

そんなことになってしまう前に、泊原発は「廃炉」にしたいのです。

すでに「冷温停止」はできました。でも、燃料棒は、まだ相当の熱をもっています。

それを原子炉のなかで冷やしたあと、原子炉から核燃料を取出し、今度は「使用済み核燃料プール」に入れてさらに冷やします。

ここがまず第一難関です。福島第一原発では、四号機の「使用済み核燃料プール」が地震で壊れ、あやうく、水が漏れてなくなるところでした。「使用済み核燃料プール」は、水泳のときに使うような、ふつうのコンクリート製のプールです。そこに、使用済みの燃料棒が、一五三五体、水に漬けてあるのです。今後、M七・五以上の大きな地震がきて、万一、このプールが壊れ、水が抜けてしまうようなことがあれば、千数百本の燃料棒はむき出しになり、冷やせなくなった燃料棒は、そこで自発的に核分裂を起こし始めます。これを再臨界と言います。

原子炉のほうは、壊れたと言っても、まだ気密性があるていど保たれていますが、「使用済み核燃料プール」のほうは、まわりにほとんどまともな覆いがありません。とくに福島第一原発四号機は、三号機の水蒸気爆発で建屋がふっとんでいますので、ほとんどむき出しの状態です。そこで再臨界が起きたら、どうなるか?

むき出しの原子炉が出現するわけです。とんでもないことになるでしょう。

次の大きな地震が来る前に、それにどこまで対処できるか。今は、日本がなくならずにすむかどうかの瀬戸際なのです。

泊でも、同じような問題が起きます。泊原発でも、使用済み核燃料は、すでに九八一体になっていて、それが、ただ、ほとんどむき出しのプールに漬けてあるだけだからです。

安全に「廃炉」にするには、まず、この「使用済み核燃料プール」に、きちんとした覆いをつけることが必要でしょう。その後は、ある程度まで冷やした燃料棒をプールから取り出し、やはり地震や津波が来ても壊れないような施設をつくって、そのなかで保管するしかないだろうと思います。

原子炉はどうするのか? これも「廃炉」にするには、最終的には解体、撤去が必要です。しかし、高濃度に汚染されている原子炉で、そのような作業が可能になるのはずっとあとのことでしょう。

たとえ事故を起こしていない原発でも、「廃炉」が完了するまでには少なくとも数十年はかかるのです。

原発がなくなったら、すぐに仕事がなくなる、地域が立ち行かなくなる、という心配は無用です。

泊村でも、ここ数十年は、「廃炉」のための仕事がずっと続くでしょう。「廃炉」は、ある意味、大きな設備投資なのです。しかし、原発の再稼働・運転と決定的にちがう点は、「廃炉」によって、まずどこよりも泊村が安全になる、ということです。

世界の原発は、たとえ福島第一のような事故を起こさなくても、老朽化によって、今後一〇~二〇年のあいだに次々と「廃炉」になっていく運命にあります。まだ世界でも、「廃炉」が完了した原発はありません。まさにこれからなのです。原発をぜんぶ止めても、原発関連の技術や仕事は、「廃炉」という新しい事業のために役立てることができるでしょう。

もちろん、数十年後、「廃炉」が完全に終われば、そのとき事業はなくなるかもしれません。でもそのときには、泊村は、原発を安全に「廃炉」にし、再生エネルギーへの転換を果たした場所として、大きな注目を浴びる存在になっているはずです。

泊村の方々も、北海道のどこかに住む方々も、同じ運命を生きているのです。

「廃炉」という新しい事業に乗り出すか、いつまでも危険と隣り合わせの原発にしがみつくか。

いまが決断すべき時でしょう。すでに今年の夏、あれだけの猛暑でも、原発なしで、じゅうぶんにやってこられたのです。冬には夏より電気を使いますが、第六章で述べたように、本州から融通可能な六〇万キロワットと、これまでのような節電で、原発なしでもじゅうぶん電気は足りています。

そのことを、北電自身が九月四日にすでに発表しているのです。原発を止めたら、代替エネルギーがいる、のではなく、原発をぜんぶ止めても、すでに電気はちゃんとあるのです。

もちろん、電気が足りている、といっても、高い石油をできるだけ減らし、天然ガスに転換しながら、全力をあげて、再生エネルギーの増加につとめるべきでしょう。泊原発を安全に「廃炉」にし、再生エネルギーを開発するために税金や電気料金が使われるなら、多少の値上げにもみんな納得すると思います。しかし、これまで原発にかけてきた莫大な税金や、原発推進のためにばらまいてきたお金の使い道を根本的に変えれば、電気料金の値上げなど、本来は不要なはずです。

北海道は、日本でももっとも再生可能エネルギーの豊富な地域です。日本最大の食糧基地である北海道。観光が重要な産業になっている北海道。先住民族アイヌの土地であった北海道。それを泊原発の事故で人の住めない土地にしてしまうわけにはいきません。

提訴から一年。私たちは第二次原告の募集をしました。一〇〇〇人規模の原告を目指しましたが、予想を上回る応募者があり、原告は、一一五〇人を越えようとしています。この本を読まれた方も、どうか賛同人としてこの裁判を支援していただきたいと思います。

みんなの力で、一日も早く、安全な北海道をつくりましょう。

この本は、多くの方々のご協力でつくることができました。裁判を支えている原告団、弁護団、そして多くの支援者の皆様、廃炉をめざす会の事務局の皆様に心より御礼申し上げます。高木仁三郎基金からは研究助成をいただき、その一部をこの出版に使わせていただきました。原図の使用を許可された東大出版会、七つ森書館、石橋克彦さん、泊原発からの放射性物質の拡散についてのコンピューター・シミュレーション図の使用を許可された環境総合研究所の青山貞一さん、鷹取敦さんにも厚く御礼申し上げます。東洋大学の渡辺満久さんには二〇一一年八月六日、中立的なお立場から泊原発周辺の活断層について講演していただき、そのとき使われたパワーポイント画像の一部を本書にも使わせていただきました。心より感謝申し上げます。奥尻島の津波堆積物について御教示いただいた平川一臣さん、イラストを描いてくださった林恭子さん、大変な編集作業を担当してい

ただいた安川誠二さん、出版をご快諾いただいた寿郎社の土肥寿郎さんにも感謝いたします。

二〇一二年九月二三日 泊原発の廃炉をめざす会 共同代表 小野有五